愛知県大会は、厳しい試合を潜り抜けて「頂」に到達。
創部20周年の記念イヤーに花を添える今大会初の愛知県チャンピオンになる。
愛知県大会には数多く出場しているこの学年。MUFG代表決定戦を地区で勝ち上がると初?のすべての大会で地区代表として県大会に出場した学年となる。
3年ナカジツ県優勝
4年OKAYA県優勝(東海大会準優勝)、サーラカップ(東海大会優勝)
5年JA全農杯県優勝(東海大会優勝)全国大会出場
6年全日本少年サッカー大会県優勝、全国大会出場、東海チャンピオンシップ(東海大会優勝)
※残すはMUFG県大会のみ
JFAオフィシャル以外では、プレミアリーグ愛知県大会優勝(3連覇達成)全国大会に出場。
ワールドチャレンジ全国大会に2回目の出場。
など、輝かしい成績を収めてきたこの学年。春から夏にかけて個々の成長のために取り組みをしてきた反面、グループの所の磨きは薄くなりスピードという面でフジパン愛知県大会を制すことができなかった。
逆にそこで優勝していたら慢心して全日は獲れていなかったのかも知れない。
フジパン愛知県大会敗退から、VOICEらしさで勝負することにしてグループのところのスピードでは磨きをかけていった。
全日全国大会でも期待を胸に臨んでいったが、結果は1勝1負1引き分けのリーグ2位でベスト16に届かず。
インフルエンザなどコンディションの所でベストに持っていけなかったのは正直悔やむ。
もっとやれたはず、もっともっと。って、思うけどピークを持って来れなかった。
勝つとこの難しさを全国の舞台で経験し、あと一点!1プレーの拘りなど常にトレーニングから伝えてきたが、やってしまった数が多くなれば負ける確率も上がる。
負けたと言うことはそういうことなのだ。
全国各地の強豪と対戦して、春先から言っていた全国の頂点は「東京ヴェルディ」とずっと言ってきた。次は神奈川県のチームって言っていたのも当たった。m(__)m
ベスト8にも千葉県、埼玉県、大阪府、兵庫県というのも当たった。笑
関東が全国基準の学年という順当な結果であったと言うこと。
やることやれば負けない!っていう愛知県基準ではやはり全国では上位には勝てない。
東海地区ではトップに君臨してきたこの学年でも上には上がいて少しのミスで失点もあり、残り1プレーで夢を砕かれた。
リスクを負わず1-0で大分トリニータに勝っていれば最終戦で得失点差勝負に行くこともやれた。
けど、その試合でも選手と話をして2点目を奪いに行くんだ。って、前に出したが結局ミスから最後に失点してこの大会が終了。
しかし、私はその判断に対しては後悔してない。
勝たせてあげられなかった責任は私にある。だからこそ、流れのなかで私が判断して決めていくのだが、今回はリスクマネジメントの所でできていなかった結果の負け。
選手たちには申し訳ない思いで試合終了の笛を聞いた。
この舞台で勝つべきチームというのはどんなチームであったのか?
圧倒的なフィジカルのあるチーム!!というのは間違いない。170センチほどの身長があるGPやFP。
足が早くて、運動量も豊富であり、技術も個で剥がせる。
など、全てが備わった選手がチームに複数名いるチームが上位に来ていた。
そこに該当しない我がチームが、対抗しようと臨んでみたが、トップコンディションでやっていたらどうだったのか?とか思ってしまったが、そこに導けなかったことが残念でもある。
全国大会に行ってみてその世界を見させてもらったことは選手に感謝しかない。
すごく多くの方々の運営やユース審判、インストラクターの方々。
警備や事前準備など、体験したからこそ分かる素晴らくみんなが目指す全国大会である。
次はいつここに戻って来られるのか?
そう簡単なものではない。ということは我々も分かっているが、またいつか帰ってきたいと思う。
ベスト8にたどり着いたチームとは、過去対戦してきたチームが多く、納得の行くチームの面々でありそこにVOICEというチームが到達出来なかった。
小学3年の時、パーシモンカップに参加してその大会の決勝は神奈川県バディー対埼玉県エクセレントフィート。
その時からもうすでに全国基準を経験していたのだ。
今大会もあっという間の4日間であったが、来た人しか味わえない貴重な経験であり、彼らにとっても一生の宝物になってくれたらと思う。
私も同じであり、ここに連れてきてくれた選手、保護者、バックアップのメンバー。
覚悟をもって私に着いてきてくれた選手、保護者、スタッフには感謝しかない。
また、協賛してくれた方々OB、スクール、育成、ジュニアユースの方々ありがとうございます。